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ヨーク大学 (カナダ) : ウィキペディア日本語版 | ヨーク大学 (カナダ)[よーくだいがく]
カナダで3番目に学生数が多い大学である〔http://www.yorku.ca/web/about_yorku/documents/York_at_a_Glance_2011_apr_11_rev1.pdf| York_at_a_Glance_2011〕。大学の公式ロゴには、カナダの公用語でもあるフランス語で Université York とも表記されている。高等教育機関のキャンパスの中ではカナダで一番広いキールキャンパスと、英語とフランス語の両言語での教育に力を入れているリベラル・アーツが主のグレンドンキャンパスから成り、双方のキャンパスを含めてほぼ5万人の学生が集う。大学院は、オンタリオ州ではトロント大学に次いで2番目に学生数が多く、様々な分野の科目を専攻することができ、24の研究機関がこの大学に本拠地を置いている。中でも特に有名なのがロースクール(Osgoode Hall Law School)とビジネススクール(Schulich School of Business)であり、これらは国内のみならず世界中からも高く評価されている。また、155を超える国からの留学生が集うインターナショナルな大学としても知られており、毎年2月に「マルチカルチュラル・ウィーク(多文化週間)」等の多文化を賞賛する大きなイベントを催している。ヨーク大学は日本からの交換留学生を受け付けており、提携校には一橋大学、慶應義塾大学、早稲田大学、名古屋大学、明治大学、獨協大学がある。また、法政大学とは学部独自の派遣留学制度である「スタディ・アブロード・プログラム」(SA)を締結している。
== 歴史 ==
ヨーク大学は、1959年3月26日にオンタリオ州議会にて王室からの承諾を得たヨーク条例によって建設された。(カナダは、イギリス連邦王国下にある立憲君主制国家である。〔カナダ大使館 - カナダについて http://www.canadanet.or.jp/about/geninfo.shtml 2008年2月12日閲覧〕)大学初の授業は、1960年にトロント大学キャンパス内にあるファルコナーホールにて、総勢76名の生徒と共に行われた。1961年の秋には、ヨークはグレンドンキャンパスへと移り、リベラルアーツとパート・タイム制(と呼ばれる一種の定時制)の社会人教育に力を強調していくかたちとなった。今日でも大学にて様々な方面で名誉とされているマーレイ・ロス(Murray Ross)がヨーク大学初代の総長であった。 マーレイ・ロスが新しくヨーク大学の総長への任命の誘いを受けたときは、彼はまだトロント大学の副総長を務めていた。当時は、ロスの力強い大学の展望がヨーク大学とトロント大学を全く別個の施設と導くまで、ヨーク大学はトロント大学の管轄と同等の一キャンパスとみなされていた。(マーレイ・ロス著『The Way Must be Tried: Memoirs of A University Man』(意訳:『試されなければいけない道:大学の男回想録』より 1992年) 1965年には、ヨークはその本拠地をキールキャンパスへと移した。トロント市の北端に位置するそのキャンパスは、比較的産業地区だったその地域の中では若干孤立した建物であった。今でも石油倉庫施設が、大学の道を挟んだ向かい側にそびえている。大学のいくつかの初期建築物は、トロントの寒い気候には不適切なその広すぎる建物間の空間や、デザインなどのせいで、多くの人たちから不評をかっていたが、ここ20年程では、小さなショッピングモールであるヨークレーンやホッケー・アリーナをはじめ、スチューデントセンター、芸術学部棟、コンピューターサイエンス棟やビジネス経営学部棟など、キャンパスは新しい建築物で埋め尽くされるようになってきている。また同じくキャンパス内に2004年に建てられたテニス・スタジアムであるレクソール・センター(The Rexall Centre)は、「ロジャース・カップ」の会場となっている。 トロント市自体のさらなる拡大により、ヨークは今ではグレータートロントエリア(GTA)内では比較的中心地に位置するようになった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨーク大学 (カナダ)」の詳細全文を読む
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